【感想】「お助けキャラに彼女がいるわけないじゃないですか」一人称で提供される笑いについて
ブログ始めました。
今まではラノベを読んでも5chに書き込むことしかしてなかったんですけど、もう少し長文で吐き出せる場所を考えた結果、ブログになりました。
ライトノベルを読んだあとって、結構語りたくなりません? しかも長文で。自分はめっちゃ語りたいです。「この主人公って絶対31で同系統のみでチャレンジザトリプル揃えるよね~」みたいなこと言いたい。でもこれ5chで書いたらマジで痴呆扱いされたのでやめます。
そんなこんなで記念すべきブログでの紹介第一弾。
お助けキャラに彼女がいるわけないじゃないですか (富士見ファンタジア文庫)
- 作者: はむばね
- 出版社/メーカー: KADOKAWA / 富士見書房
- 発売日: 2018/02/20
- メディア: Kindle版
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第30回ファンタジア大賞にて『金賞』受賞作!
はむばね先生著、「お助けキャラに彼女がいるわけないじゃないですか」!
本日発売の第三巻にて完結しております!!!!!!!
馬鹿じゃないの?
自分でもびっくりだよ。とりあえず今日の三巻を買って、これで三記事書けると思ったら本当に三記事でぴったり終わりかよ。これだからファンタジア文庫は信用できない。返せ! 返せよ! 暗殺拳を返せよ!! リア充絶対爆発させるマンを返せよ!!!!!! 返せ!!!!!!
とまあこんな顔で叫んだところで、おとなしく本筋に戻ります。
紹介する今作のあらすじは以下の通り。
同じクラスの庄川さんは魔光少女だ。(すごくかわいいい!)彼女の身バレを防ぐために、完璧フォローを誓った僕だけど、『クラスのど真ん中で変身しようとしないでくださいぃぃぃ!』超弩級のうっかりさんだった!もっと細かなフォローをするためには、常に一緒にいるぐらいの心構えでいなくては…。「庄川さん!(物理的に)付き合ってください!」「あ、はい」よし!これで、一緒にお昼を食べたり、下校したり、遊園地に行ったり―お助けキャラとしてフォローは完璧だな!…ん?恋人同士?いやいや、お助けキャラに彼女がいるわけないじゃないですか。無自覚だらけの勘違いラブコメ!
もうそのまま書いてありますが、これは勘違いを軸にしたラブコメです。
学園ラブコメであって、受賞時に橘公司先生が選評で書いていたように魔法少女要素を入れる必然性は一切ありません。というか登場人物全員の頭に魔法がかかってるんじゃねえのってぐらいパッパラパーしかいません(パッパラパーって語源何?)。
そんな中で繰り広げられる学園ラブコメ。細かい点はぶっちゃけ買って読んでくれとしか言いようがありませんが、一応最低限の要素は補足しつつ長文キモオタ感想を垂れ流していこうと思います。
①「笑い」のエッセンスは何か
ある人は笑いのことを『テンポ』だと言いました。
恐らく多くの人は、これを聞いて漫才を思い出すと思います。タカアンドトシの間髪入れない「欧米か!」や、笑い飯の「もういい俺がやる」など。漫才は言葉選び以外にもテンポの面で、視聴者に笑いを提供します。
またある人は笑いのことを『裏切り』だと言いました。
我々にとって想像もつかないような展開をすることで、期待を裏切り、そのギャップが笑いに転換される。サンドウィッチマンの有名なハンバーガーショップのコントでは、開幕パンチとしてメニューが床に敷かれているという支離滅裂なボケがあります。
僕はあれ何度見ても笑っちゃうんですよね。だってマック行って「メニューは?」って聞いたら、店員が反笑いで「お客さんwww踏んでますよwww」って言ってくるんでしょ? 殴りますよ。
ただこれは、単純に理不尽であればいいってものじゃない。そこには相応の説得力が必要となる。ハンバーガーショップコントの場合、ジュースのサイズを聞く際「S,M、A,L,Lがございます」「スモールじゃねえか」というくだりがある。これは既存のサイズがS,M,Lであるのを踏まえて、途中までは一緒なのに後半からは全く違うことを言う『裏切り』だ。そのギャップには、途中まではしっかり常識に沿うという土台がある。だからこそ後半の『裏切り』が生きるんだろう。裏切りとは『信頼』があってこそなのだ。
ともかく笑いとは単純なギャグセンスにはとどまらない、奥深いものです。これ以上の追及は避けます。専門外だし、いっぱいそういう本はあるし。
②本作におけるはむばね先生の「笑い」
じゃあなんでわざわざ『笑い』の話を出したかっていうと、本作がコメディであって、作者のはむばね先生がそれを意識しているからです。
最終的に本編に残っている部分については本当に必要な箇所のみが凝縮されておりますのでね(中略)しかしそういう部分こそが、私にとっては『外せない部分』なのです。具体的に言うと、『笑い』ですね。これまた高校一年生の夏から小説というものを書き始めて、気が付けば早十七年。ずっと一貫してこだわっている部分が『笑い』なのです。
(p283、あとがきより)
すげえなあ……高校一年のことからずっとこだわってるのか。
高校一年のころって、俺は誰にも需要のない生徒会の一存のシリアスssを書いてネット掲示板に投稿し悦に浸っていた時期だよ。ていうか生存のシリアスssってなんだよ
『笑い』へのこだわりは随所に感じられる。2点にわけてみよう。
A会話劇
例えばそれは会話劇だ。主人公である平地と、クラスのカーストトップに君臨するイケメン空橋(どうでもいいけど青春ラブコメラノベでこの手のイケメンがめちゃくちゃ登場するようになったのって、多分俺ガイルの葉山の影響なんじゃないかな。というか、スクールカーストをラブコメに組み込む際、最底辺の主人公と対比する形で頂点の存在を示さないといけないからか)の会話は漫才のように進む。
別段本作特有のノリというわけではない。それこそ生徒会の一存や、コメディーパートなら大抵のラノベが、漫才的なノリを挟むだろう。その功罪は一般的なものなのでここでは掘り下げない。
ただ本作に限って触れるなら、やや会話劇は映像ベースで書かれているように感じた。つまり、文章を読む上げていく上でのテンポと、登場人物らの会話のテンポは、かみ合っていない。
会話劇をベースとする本作においては結構致命的な気もするが、実際生徒会の一存だって(やたら引き合いにだしてしまってごめんなさい)テンポだけ見ると割と微妙だ。あれはキャラクターの個性の強さが読者のエンジンを無理やり回している、と考えるのが正しい。だって、次はツッコミだから、とかに合わせて読むペース調整しないでしょ? この時点で漫才における間髪入れないツッコミは成立しえない。
まあとにかく、このA点に関しては、一般的にも見られる工夫だ。問題は次だ次!
B勘違い
あらすじにも出てた通り、この作品は勘違いを主軸に置いた、すれ違いラブコメディだ。
どういうすれ違いか、というと。
主人公はヒロインに対して、恋愛感情を抱いていない。
ヒロインは主人公と、付き合っていると思っている。
さっき出たイケメンは、主人公の恋の応援をしているつもりだ。
だが主人公にとってイケメンは、崇高なる使命を共にする同志だ。
またクラスのギャルはイケメンと主人公がデキていると思っている。
イケメンは、ギャルは主人公のことが好きだと思っている。
ヒロインはギャルに恋愛相談をする。
ギャルはヒロインが主人公とイケメンの関係に悶える同好の士だと思っている。
ざっとこれぐらいこんがらがっている。
いやーよく考えたよね。ここに至るまでの過程は、実際かなり丁寧に描かれる。そりゃ作品の主題だからね。
じゃあ本題。
『勘違いであることを理解している我々読者はどうリアクションを取るべきか』
???「笑えばいいと思うよ」
いやそうだね。うん。そうなんだけどさ。
問題は、この小説は一人称なのだ。
『サンタクロースをいつまで信じていたかなんてことはたわいもない世間話にもならないくらいのどうでもいいような話だが、それでも俺がいつまでサンタなどという想像上の赤服じーさんを信じていたかと言うとこれは確信を持って言えるが最初から信じてなどいなかった』というのが一人称。
三人称の場合は、上条さんがダッシュしてる冒頭なんかを思い浮かべてほしい。今、禁書を探して本棚をあさりたくないんだ。
また、それもただの一人称じゃない。
主人公の一人称。
ヒロインの一人称。
イケメンの一人称。
ギャルの一人称。
それらが行空白を置いて、『ここからは誰々の視点ですよー』と明示された上で始まる。
side使いって言葉でピンと来る人がいるなら、そいつはなろう小説のランキングに乗らない底辺作品を掘りまくってる天才変態だ。ちなみに僕もかつてそうだった。
小説は描写と叙述が連続するものだ。描写は場面をストップさせて風景や人物の外見を書き込むことで、作中世界の解像度を上げる。叙述は物語のエンジンとして、ストーリーを展開させていく。
これは一人称小説だろうと三人称小説だろうと変わりない。一人称では、その語りの主体が見えるものを描写してくれる。
そうして補填することは可能だが、やはりその書き方では取りこぼすものだってある。それは三人称なら描けるはずの、主人公以外のキャラの心情だ。
個人的な意見だが、一人称の場合はその分からなさとかも楽しむ要因にカウントできると思うよ。
しかし、しかしですよ。
この小説は一人称×4のすれ違いコメディ。
要するにはAの「付き合ってください」という発言はA視点で「あなたにとって不都合な事が起きたらトラブルシューターとして対応するので隣にいる」という意味だ。いや意味わかんねえけどそういう意味なのだ。
だがそれはすぐさま、B視点では「恋人として付き合ってください」とB視点での別解釈=読者視点での再解釈がなされる。
我々は勘違いという行為そのものにはまったく没入せずに、ただ目の前に提示された情報Aと情報Bの落差を見て、そのギャップで笑うかどうかをゆだねられる。
ここまで長々と書いておきながら、別段僕はこの手法を否定しない。
要するにこれ、「そうはならんやろ」「なっとるやろがい!」を読者の脳内でやってもらう、というのが狙いだ。
そしてお助けキャラの場合――後者につながらない。「そうはならんやろ」「……いや、ならんやろ」って具合になる。
何故ならば、引き続き情報Aと情報Bのくだりで例えた場合、上記のギャップを生み出すのに必要なものが欠けている。
そうだね。『信頼』だね。
僕らは一人称で登場人物の心理を丸ごと見ることができる。
その感情の動きを見て、こういう人物だとあたりをつけて、そんな人がどういう行動をするのか予測して、良い方向に裏切ってくれると喝采を送る。
結論から言えばこの小説においてキャラクターの、特にメインクラスである主人公は、一切どんな人間かわからない「ただ突拍子もないことをし続けるだけの人間」だった。
常識的な面をもっているのかすらわからない。ただ機械的に、ヒロインのためという名目で頓珍漢なことをする怖い人。
そこには『信頼』が存在しない。『信頼』を築くというフェーズを飛び越えてしまっている。僕らはただ裏切られ続ける。
「意外性のない裏切りをしてくる人間」というのは、単なる人格破綻者だ。
~~結論~~
でも面白かった!!!!!!!!!!!!!!!
いやなんか読み返したらボロクソ書いてるけど好きなんだよねこれ。めっちゃボロクソ書いてた。ごめんなさい好きです(ラノベ民特有の大胆な告白)。
普通に言葉のチョイスが好き。テンポ悪くても生存と同じように脳内エンジンぶん回したら超楽しく読めた。
三巻完結っていうのは悲しいけど、逆に考えるんだ……三巻でまとまってくれている! お手軽!
というわけで!
「ブチ切れ勇者の世界征服」続刊待ってまーーーす!!!!
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