【感想】「お前ら、おひとり様の俺のこと好きすぎだろ。」システマティックラブコメの呪い
はい。
お助けキャラの二巻を書こうと思っていましたが、手に取った新刊を読んでいやこれ書かなきゃダメじゃんとなったので書きます。
ふーん…………
あらすじ
孤独を恥じず、集団に属することのストレスを何よりも嫌う。ひとりで過ごす時間が最高の贅沢―おひとり様至上主義な高校生・姫宮春一は理想の学園生活を謳歌していた、はずなのに。学園の完璧ヒロイン・美咲華梨から友達作りを手伝うと言われ、趣味がドンピシャに合うクール美人・羽鳥英玲奈には懐かれる。―そんなおひとり様ライフを邪魔される状況を春一は許さない!「ひとりが寂しい?余計なお世話だバカヤロウ!!」めんどくさい性格ゆえに自らフラグを折りにいく春一だが、なぜか美少女たちは誤った方向に絶賛、逆に注目を浴びてしまって!?ひねくれボッチートな青春ラブコメ、堂々開幕!
へぇ…………
はいこれ思い出した人は正直に挙手してください。
まあね。仕方ないよね。
というかこの手のは青春潰すマンがガガガから出てるぐらいだからね。むしろジャンルとして確立されてないのが不思議なぐらいだからね。
俺ガイルssを量産しまくってイキってた昔の僕が悲鳴を上げていますが、なんとか抑え込んで読みました。いやほんと俺ガイルのせいで人生終わったみたいなところあるからわたりんにはちゃんと責任取ってほしい。
あと13巻発売が10月に決定したそうでおめでとう……なんていうわけねーだろ! ここから何か月伸びんだよオラァ!?
というわけでぼちぼち垂れ流していきましょう。
時々聞くんですけど、なろう小説ってカタルシスが薄っぺらいって言われてるじゃないですか。
なんかハリウッド式の脚本術とかを見ると、ユーザーがカタルシスを得るためには『溜め』が必要なんだそうです。ざっくりいうと挫折です。
そこがないからなろう小説が嫌いって人がいますね。まあそれは本筋と関係ないんですけど、持論としては別に挫折なしのカタルシスだってありうるんじゃないかなあとは思います。閑話休題。
で、わかりやすい挫折ってぶっちゃけ負けることなんですよね。
バトルものなら敵に負けて敗走する。それから逆襲して、最終的には勝つ。これが王道パターンなのかなと。
バトルじゃなかったら? ということです。
今回取り上げる「お前ら、おひとり様の俺のこと好きすぎだろ。」は学園ラブコメです。学園ラブコメでいかに負けるのか。
はい。俺ガイルユーザーの皆さんならすぐわかりますね。
訓練されたぼっちは二度も同じ手に引っかかったりしない。じゃんけんで負けた罰ゲームの告白も、女子が代筆した男子からの偽のラブレターも俺には通じない。百戦錬磨の強者なのだ。負けることに関しては俺が最強。
(「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」2巻 p71)
スタート地点で負けてればいいんです。
要するにイベントを起こしてそこで敗北感を味わうのではなく、最初から負けておけばいい。これはバトルものでも当然ある流れで、落ちこぼれが逆転していく話の鉄板ですね。アンコールとかスライムトレーナーとかがパッと出てくるところですかね。
同時にこれは主人公の唯一性にも直結するというお手軽設計。いやこれを学園ラブコメに導入しようとする勇気がすごいよね。
というわけで、「おひとり様」も例に漏れず、この形式で主人公を学園という名の世界における敗北者に配置しています。本人はそう認めないけど、まあ世界におけるマジョリティからすれば敗北者なわけです。
俺ガイルはここから、敗北者のあがきというか、決して勝ちを取りに行くわけではないが、カタルシスを生み出していきました。
本作はどうだったのか。
すみませんタイトルにもつけたこの名前は三秒ぐらいで考えた適当な名前です。
そもそも溜めはつくれたとして、じゃあどういう風にしてどこからカタルシスを生み出していくのか。バトルで勝つわけではない。
恐らく本来は、他の登場人物から好かれるというのがゴールなのかなと思います。それはヒロインが抱える家庭の事情であったり、同性の友人が抱える悩みであったり、そういうのを解決して好かれます。あるいは一目置かれます。
この辺は別にバトルモノでもできることで、決してラブコメ特有の課題ではありません。
ただこの点において、俺ガイルが一つの出発点として構築した構造があり、それが「おひとり様」に引き継がれているように感じます。
ヒロインの抱える事情。キャラクターの抱える宿命。それは世界をより掘り下げ、読者の感情を移入させることができるでしょう。
でもそれは決して、ライトじゃない。
お手軽じゃないということです。体力を使う。頭を使う。
なんとかしてそこをダウングレードできれば、ぐっとストーリーラインは簡易なものになるでしょう。
ならどうします?
そうだね。解決すべき問題そのものを変えていくね。
キャラクターの内面に関わるような問題を掘り下げていく場合、難易度は作者読者共に増します。なぜなら没入できなければオシマイだから。
だからこそ、問題とキャラクターの内面を切り離す。
「おひとり様」の場合は、クラスの親睦会を成功させるという課題が発生する。
そこの課題自体はキャラクターとは独立した点で発生し、そこにキャラクターの内面が投下される。
順序が逆転し、主人公はおおもとの課題をシステム的に解析して、問題を解決し、それと連動してキャラクターの内面の問題も解決される。
実にシステム的であり、心情に左右されず、慎重に読み込まずともカタルシスへとつながることのできる構造。
当然この構造にだって弱点はある。
それは問題解決方法の唯一性のなさだ。
はっきり言ってしまえばこれ、「いやそれができたぐらいでこんなにヒロインから好かれることある?」となる危険性を常にはらんでいるのだ。
俺ガイルは結果としてその弱点を逆手に取り、「できらぁ!」と言わんばかりにHACHIMAN……もとい主人公・八幡に没入する読者を大量に獲得した。これは先ほどの発言と矛盾するようだが、没入するほど深くはない世界観において、俺ガイルは先駆者でありながらカウンターとして機能する。
浅いからこそ手軽に読ませて、そして小出しにしてきた心情エピソードを後半で増加させていくことによって、実に順序正しく読者を世界観の中に引き込むことに成功したのだ。
そのせいでいろんな作品とクロスオーバーするはめになった八幡くんや知らないオリキャラから叩かれまくるメインヒロインらには同情するしかないのだが。そもそも奉仕部アンチってなんだよ。奉仕部アンチしたいなら俺ガイルを読まないのが一番いいだろ。ていうかss作者ってなんでことあるごとに自分の脳内にしかない世界を突然こっちの脳に流し込んで満足するの? マジでむかつくんだけど。
閑話休題。
俺ガイルの話をする記事ではない。
「おひとり様」の場合、唯一性を補完するために機能している要素は『手際のよさ』だ。
唯一性ではなく、手際よく問題を解決することで加点方式で主人公を持ち上げる。ぶっちゃけ誰でもちょっと頭を使えば解決できる問題だって、それを手際よくできる人間は限られている。
手際よくできないけど問題解決には携わりたがって、結果としてみんなの足を引っ張ってしまう、みたい経験はないですかね? 僕はあるので、手際のいいキャラというのはそれだけであこがれの対象になる。あっやべ思い出して死にたくなってきた。
ただこれ、巻を重ねるほどに限界があって、「いい加減主人公これでドヤりすぎだろ」となって、俺ガイルのように心情重めルートへ突っ走るというソリューションが選択される気がするんですよね。
そういう点では、やはり俺ガイルと重ねて考えることは必然のように思えるけど。
けど!
おじさん正直この手のラノベでいちいち俺ガイルを引き合いに出すのは飽き飽きなんだよねえ!!
システマティックラブコメの呪いを生み出した俺ガイルは勝手に呪いからイチ抜けした。しやがった。絶対に許せねえよ。
④呪いと決別する「おひとり様」のキャラクターたち
でも。
今回取り上げている「おひとり様」を僕が一番高く評価しているのは、これ多分、俺ガイルとは違うやり方できちんとシステマティックラブコメの呪いから逃れてるんですよね。
俺ガイルにおいてはキャラクターと問題は切り離されつつも、後発的に連結することで、問題を解決する主人公、それによってデレるヒロイン、という構造が発生していた。
「おひとり様」がすごいのは、問題解決とヒロインのデレをまっっったく切り離していることだ。
問題が発生したとき。既にメインヒロイン二人はデレている。
普通に考えろ。問題が発生する。主人公が解決する。主人公すげー!好きー!だ。
このラノベはそうじゃない。
ヒロイン二名は問題発生の前から主人公にデレている。というか問題発生がめちゃくちゃ後半も後半、話の終わり五分の一ぐらいになってようやく発生するのだ。
要するに問題解決して主人公が持ち上げられる――という過程に頼らず、先に人間関係を構築しておく。そうすることで問題解決と人間関係の変化の因果関係を切り離し、「元々好きな人が手際よく問題解決したので素直にデレる」という形式をとることができる。
システマティックラブコメの弱点である「こんなんで好かれるかよ」が発生しない!
だって前からデレてたからな!
順序を逆転させることで描かれるこの自然な流れは、呪いと決別する新しいストーリーラインとして実にまとまっていた。
~~結論~~
まあもちろん、そういう問題解決と絡まない形でヒロインと仲良くなっても、ドラマティックではない。
でもそれでいいのだ。
問題解決というカタルシスはあくまで駄目押しなのだ。
青春ラブコメにおいてカタルシスをどう得るかという問いは、過程を簡略化する流れの隆盛を見た。
2018年8月に、カタルシスに主眼を置くストーリーラインではなく、カタルシスを駄目押しとして機能させることに特化した学園ラブコメが登場した。
我々は諸手を挙げて歓迎すべきだろう。まだ分化し続けるラブコメの構造に関して、最新の形式が誕生したことを、この目で見ることができるのだから。
僕は2巻買います。
だって2巻次第じゃこの記事の内容全部嘘っぱちになるからな!!!!
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【感想】「お助けキャラに彼女がいるわけないじゃないですか」一人称で提供される笑いについて
ブログ始めました。
今まではラノベを読んでも5chに書き込むことしかしてなかったんですけど、もう少し長文で吐き出せる場所を考えた結果、ブログになりました。
ライトノベルを読んだあとって、結構語りたくなりません? しかも長文で。自分はめっちゃ語りたいです。「この主人公って絶対31で同系統のみでチャレンジザトリプル揃えるよね~」みたいなこと言いたい。でもこれ5chで書いたらマジで痴呆扱いされたのでやめます。
そんなこんなで記念すべきブログでの紹介第一弾。
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第30回ファンタジア大賞にて『金賞』受賞作!
はむばね先生著、「お助けキャラに彼女がいるわけないじゃないですか」!
本日発売の第三巻にて完結しております!!!!!!!
馬鹿じゃないの?
自分でもびっくりだよ。とりあえず今日の三巻を買って、これで三記事書けると思ったら本当に三記事でぴったり終わりかよ。これだからファンタジア文庫は信用できない。返せ! 返せよ! 暗殺拳を返せよ!! リア充絶対爆発させるマンを返せよ!!!!!! 返せ!!!!!!
とまあこんな顔で叫んだところで、おとなしく本筋に戻ります。
紹介する今作のあらすじは以下の通り。
同じクラスの庄川さんは魔光少女だ。(すごくかわいいい!)彼女の身バレを防ぐために、完璧フォローを誓った僕だけど、『クラスのど真ん中で変身しようとしないでくださいぃぃぃ!』超弩級のうっかりさんだった!もっと細かなフォローをするためには、常に一緒にいるぐらいの心構えでいなくては…。「庄川さん!(物理的に)付き合ってください!」「あ、はい」よし!これで、一緒にお昼を食べたり、下校したり、遊園地に行ったり―お助けキャラとしてフォローは完璧だな!…ん?恋人同士?いやいや、お助けキャラに彼女がいるわけないじゃないですか。無自覚だらけの勘違いラブコメ!
もうそのまま書いてありますが、これは勘違いを軸にしたラブコメです。
学園ラブコメであって、受賞時に橘公司先生が選評で書いていたように魔法少女要素を入れる必然性は一切ありません。というか登場人物全員の頭に魔法がかかってるんじゃねえのってぐらいパッパラパーしかいません(パッパラパーって語源何?)。
そんな中で繰り広げられる学園ラブコメ。細かい点はぶっちゃけ買って読んでくれとしか言いようがありませんが、一応最低限の要素は補足しつつ長文キモオタ感想を垂れ流していこうと思います。
①「笑い」のエッセンスは何か
ある人は笑いのことを『テンポ』だと言いました。
恐らく多くの人は、これを聞いて漫才を思い出すと思います。タカアンドトシの間髪入れない「欧米か!」や、笑い飯の「もういい俺がやる」など。漫才は言葉選び以外にもテンポの面で、視聴者に笑いを提供します。
またある人は笑いのことを『裏切り』だと言いました。
我々にとって想像もつかないような展開をすることで、期待を裏切り、そのギャップが笑いに転換される。サンドウィッチマンの有名なハンバーガーショップのコントでは、開幕パンチとしてメニューが床に敷かれているという支離滅裂なボケがあります。
僕はあれ何度見ても笑っちゃうんですよね。だってマック行って「メニューは?」って聞いたら、店員が反笑いで「お客さんwww踏んでますよwww」って言ってくるんでしょ? 殴りますよ。
ただこれは、単純に理不尽であればいいってものじゃない。そこには相応の説得力が必要となる。ハンバーガーショップコントの場合、ジュースのサイズを聞く際「S,M、A,L,Lがございます」「スモールじゃねえか」というくだりがある。これは既存のサイズがS,M,Lであるのを踏まえて、途中までは一緒なのに後半からは全く違うことを言う『裏切り』だ。そのギャップには、途中まではしっかり常識に沿うという土台がある。だからこそ後半の『裏切り』が生きるんだろう。裏切りとは『信頼』があってこそなのだ。
ともかく笑いとは単純なギャグセンスにはとどまらない、奥深いものです。これ以上の追及は避けます。専門外だし、いっぱいそういう本はあるし。
②本作におけるはむばね先生の「笑い」
じゃあなんでわざわざ『笑い』の話を出したかっていうと、本作がコメディであって、作者のはむばね先生がそれを意識しているからです。
最終的に本編に残っている部分については本当に必要な箇所のみが凝縮されておりますのでね(中略)しかしそういう部分こそが、私にとっては『外せない部分』なのです。具体的に言うと、『笑い』ですね。これまた高校一年生の夏から小説というものを書き始めて、気が付けば早十七年。ずっと一貫してこだわっている部分が『笑い』なのです。
(p283、あとがきより)
すげえなあ……高校一年のことからずっとこだわってるのか。
高校一年のころって、俺は誰にも需要のない生徒会の一存のシリアスssを書いてネット掲示板に投稿し悦に浸っていた時期だよ。ていうか生存のシリアスssってなんだよ
『笑い』へのこだわりは随所に感じられる。2点にわけてみよう。
A会話劇
例えばそれは会話劇だ。主人公である平地と、クラスのカーストトップに君臨するイケメン空橋(どうでもいいけど青春ラブコメラノベでこの手のイケメンがめちゃくちゃ登場するようになったのって、多分俺ガイルの葉山の影響なんじゃないかな。というか、スクールカーストをラブコメに組み込む際、最底辺の主人公と対比する形で頂点の存在を示さないといけないからか)の会話は漫才のように進む。
別段本作特有のノリというわけではない。それこそ生徒会の一存や、コメディーパートなら大抵のラノベが、漫才的なノリを挟むだろう。その功罪は一般的なものなのでここでは掘り下げない。
ただ本作に限って触れるなら、やや会話劇は映像ベースで書かれているように感じた。つまり、文章を読む上げていく上でのテンポと、登場人物らの会話のテンポは、かみ合っていない。
会話劇をベースとする本作においては結構致命的な気もするが、実際生徒会の一存だって(やたら引き合いにだしてしまってごめんなさい)テンポだけ見ると割と微妙だ。あれはキャラクターの個性の強さが読者のエンジンを無理やり回している、と考えるのが正しい。だって、次はツッコミだから、とかに合わせて読むペース調整しないでしょ? この時点で漫才における間髪入れないツッコミは成立しえない。
まあとにかく、このA点に関しては、一般的にも見られる工夫だ。問題は次だ次!
B勘違い
あらすじにも出てた通り、この作品は勘違いを主軸に置いた、すれ違いラブコメディだ。
どういうすれ違いか、というと。
主人公はヒロインに対して、恋愛感情を抱いていない。
ヒロインは主人公と、付き合っていると思っている。
さっき出たイケメンは、主人公の恋の応援をしているつもりだ。
だが主人公にとってイケメンは、崇高なる使命を共にする同志だ。
またクラスのギャルはイケメンと主人公がデキていると思っている。
イケメンは、ギャルは主人公のことが好きだと思っている。
ヒロインはギャルに恋愛相談をする。
ギャルはヒロインが主人公とイケメンの関係に悶える同好の士だと思っている。
ざっとこれぐらいこんがらがっている。
いやーよく考えたよね。ここに至るまでの過程は、実際かなり丁寧に描かれる。そりゃ作品の主題だからね。
じゃあ本題。
『勘違いであることを理解している我々読者はどうリアクションを取るべきか』
???「笑えばいいと思うよ」
いやそうだね。うん。そうなんだけどさ。
問題は、この小説は一人称なのだ。
『サンタクロースをいつまで信じていたかなんてことはたわいもない世間話にもならないくらいのどうでもいいような話だが、それでも俺がいつまでサンタなどという想像上の赤服じーさんを信じていたかと言うとこれは確信を持って言えるが最初から信じてなどいなかった』というのが一人称。
三人称の場合は、上条さんがダッシュしてる冒頭なんかを思い浮かべてほしい。今、禁書を探して本棚をあさりたくないんだ。
また、それもただの一人称じゃない。
主人公の一人称。
ヒロインの一人称。
イケメンの一人称。
ギャルの一人称。
それらが行空白を置いて、『ここからは誰々の視点ですよー』と明示された上で始まる。
side使いって言葉でピンと来る人がいるなら、そいつはなろう小説のランキングに乗らない底辺作品を掘りまくってる天才変態だ。ちなみに僕もかつてそうだった。
小説は描写と叙述が連続するものだ。描写は場面をストップさせて風景や人物の外見を書き込むことで、作中世界の解像度を上げる。叙述は物語のエンジンとして、ストーリーを展開させていく。
これは一人称小説だろうと三人称小説だろうと変わりない。一人称では、その語りの主体が見えるものを描写してくれる。
そうして補填することは可能だが、やはりその書き方では取りこぼすものだってある。それは三人称なら描けるはずの、主人公以外のキャラの心情だ。
個人的な意見だが、一人称の場合はその分からなさとかも楽しむ要因にカウントできると思うよ。
しかし、しかしですよ。
この小説は一人称×4のすれ違いコメディ。
要するにはAの「付き合ってください」という発言はA視点で「あなたにとって不都合な事が起きたらトラブルシューターとして対応するので隣にいる」という意味だ。いや意味わかんねえけどそういう意味なのだ。
だがそれはすぐさま、B視点では「恋人として付き合ってください」とB視点での別解釈=読者視点での再解釈がなされる。
我々は勘違いという行為そのものにはまったく没入せずに、ただ目の前に提示された情報Aと情報Bの落差を見て、そのギャップで笑うかどうかをゆだねられる。
ここまで長々と書いておきながら、別段僕はこの手法を否定しない。
要するにこれ、「そうはならんやろ」「なっとるやろがい!」を読者の脳内でやってもらう、というのが狙いだ。
そしてお助けキャラの場合――後者につながらない。「そうはならんやろ」「……いや、ならんやろ」って具合になる。
何故ならば、引き続き情報Aと情報Bのくだりで例えた場合、上記のギャップを生み出すのに必要なものが欠けている。
そうだね。『信頼』だね。
僕らは一人称で登場人物の心理を丸ごと見ることができる。
その感情の動きを見て、こういう人物だとあたりをつけて、そんな人がどういう行動をするのか予測して、良い方向に裏切ってくれると喝采を送る。
結論から言えばこの小説においてキャラクターの、特にメインクラスである主人公は、一切どんな人間かわからない「ただ突拍子もないことをし続けるだけの人間」だった。
常識的な面をもっているのかすらわからない。ただ機械的に、ヒロインのためという名目で頓珍漢なことをする怖い人。
そこには『信頼』が存在しない。『信頼』を築くというフェーズを飛び越えてしまっている。僕らはただ裏切られ続ける。
「意外性のない裏切りをしてくる人間」というのは、単なる人格破綻者だ。
~~結論~~
でも面白かった!!!!!!!!!!!!!!!
いやなんか読み返したらボロクソ書いてるけど好きなんだよねこれ。めっちゃボロクソ書いてた。ごめんなさい好きです(ラノベ民特有の大胆な告白)。
普通に言葉のチョイスが好き。テンポ悪くても生存と同じように脳内エンジンぶん回したら超楽しく読めた。
三巻完結っていうのは悲しいけど、逆に考えるんだ……三巻でまとまってくれている! お手軽!
というわけで!
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